南澤大介先生が演奏する「ふるさと」です。
東日本大震災以来、多くのアーティストが被災地を憂い、応援の気持ちを込めて、
この「ふるさと」を演奏する姿を目にし、耳にしました。
そんな中で、ボクには南澤先生の演奏が一番、
「ふるさと」のメロディーの持つ「ちょっと切ない部分」を
アコースティック・ギターの音色と響きを最大限に生かしながら、
震災に対する気持ちとして表現していると感じています。
ところで、この「ふるさと」ですが、
歌詞を見ると、「兎追いしかの山 小鮒釣りしかの川・・」と、
まず始めに、「人」ではなく、「景色」を歌っていますが、
やっぱり「ふるさと」っていうのは景色とか風土で感じるものなんでしょうかねぇ?

実は先日、仕事の関係で、埼玉県の所沢市方面へ行くことがありました。
所沢には子供の頃の、
小学校1年生の10月頃から、中学校1年の夏ごろまで、
約6年間住んでいたんです。
当時の最寄り駅は、この写真の西武新宿線「新所沢」駅。

走っている電車も、駅舎も、当時の面影は全く無いので、
「この辺りに昔住んでいたんだなぁ~」という感慨は無かったんですが、
この「新所沢」駅から、ひとつ隣の「入曽」の駅に向かっていくと、
車窓からの景色がだんだん見覚えのある雰囲気になってきたんです。
そして・・・。

おおっ、見えましたっ!
線路脇に立つ「所沢市立西富小学校」!
ボクが通った小学校です!!
何年ぶりでしょうか?
20年とか、30年、あるいはそれ以上に久しぶりに見た母校の姿です。
奥の4階建ての部分はボクらが通っていたころに増築されたので、築40年くらい、
3階建の部分は50年近く経っているんでしょうか?
耐震補強の筋交いが入って、痛々しいというか、ゴツゴツした感じになっていますが、
ボクらが通っていた校舎が今でも元気に残っているというのは嬉しいもので、
当時のいろいろな情景が思い浮かんできました。

そして「入曽」(狭山市)の駅に着くと、
どこからともなく、ぷ~んと醤油を焦がした香ばしい、いい香りが漂ってきました。
そうそう、このあたりというか、西武線沿線は、
しょうゆだれの焼き団子が名物というか、よくあったよなぁ~と嬉しくなり、
朝から1本頂いてしまいました。

「新所沢」駅周辺は近代化されたというか、今風に随分変わっちゃったようなんですが、
この「入曽」駅周辺は、いい意味で田舎っぽいというか、
ボクが住んでいたころの所沢を含む、このあたり「武蔵野」の面影が残っているようです。
ちょっとした「ふるさと」への小旅行気分!

少し歩くと、またまたいい香りがしてきました。
お茶を煎っているんでしょうか??
お茶のすごくいい香りが漂ってきます。
そうそう、このあたりは狭山茶の産地ですからね。
子供の頃もお茶畑の中道を通って学校に通ったようなもんでした。
ちょうど今が新茶の生産の時期なんでしょうね~。

そうして仕事を終えた夏の夕暮れ・・。
そういえば、宮崎駿の「となりのトトロ」って、
このあたり、所沢を中心とした「武蔵野」が舞台ですよね?
そう思うと、仕事で行った近くの大きな家の脇に立っていた大きな欅の木が
トトロの木のように見えてきました。

夕方の西武線。
ボクの記憶にもある「黄色い車両」は、ネコバスかな??

仕事で、たまたま行っただけ、ちょっと景色と風土に触れただけなんですが、
何となく、独特の懐かしさというか、親しみというか、
やさしさに包まれた感じが「ふるさと」という感覚なんでしょうかねぇ~~?
サラリーマンの息子として、子供の頃は、首都圏を何回か引っ越したボクには
「ふるさと」という正確な感覚が分からないんですが・・・。

さて、地元の千葉県千葉市花見川区の「新検見川駅」に帰ってくると、
駅のコンコースの片隅で、開業60周年の写真展が開かれていました。
昭和26年、1951年開業ですか。
ボクがこっちに引っ越してきたのが、1973年頃。
もう38年もたっているんですねぇ・・・。
引っ越してきた頃は、新検見川ができて、まだ22年目の頃だったんですねぇ・・・。
その時から、今の方が長いなんて、恐ろしい時間の流れ・・・。
う~ん、なるほど。
住んでいる期間は圧倒的にこっち(千葉)の方が長いんですが、
「ふるさと」というのは、子供の頃(小学生)に過ごした場所、
感じたことが、なるものなんでしょうか??
「兎追いしかの山 小鮒釣りしかの川・・」じゃないですが、
ボクには子供の頃、所沢のトトロの森のような
武蔵野の雑木林の中で、
木登りしたり、クワガタを捕まえたり、
秘密基地を作ったりして遊んだ記憶が強烈に残っていて、
たった6年間住んでいた所沢に「ふるさと」を感じてしまうようです。
千葉に引っ越してきた時、新検見川はまだこの古い駅舎でした。